2010年7月19日月曜日
世界と自分との間に
”これからの「正義」の話をしようーいまを生き延びるための哲学”を読んだ。
万人に激しく、この書を勧めたい。翻訳だが、非常に読みやすい。 Amazonでも人気の高い本なので、知っている人も多いと思う。是非、貴重な本棚のスペースに、この本を置いて欲しい。そのくらい素晴らしい。 自分と世界との間に感じることを、この本が少しずつ紐解いてくれると思う。哲学入門書としても、良いかもしれない。
個人的には、ここ数年漠然と抱えていた疑問にひとつのヒントを与えてくれた本だった。それは、”自由”への疑念だ。
この書は、一見、著者の主張が何か最初は分からないように見える。冒頭では、世界に対して我々が日頃、考え、感じることを思考実験などを通して、理論的に紐解くことを、勧めてくる。それで終わりなのだろうか?否。著者の本書の目的は、本の後半部分にある、この文に述べられている。
”本書の全篇を通じて考察してきたさまざまな事例を通して、私は、この自由の構想には欠陥があることを示そうとしている。だが、ここでは自由が唯一の争点ではない。もうひとつの争点は、正義についてどう考えるかだ。”
個人的な話になるが、僕は”自由”という言葉に、野蛮、不秩序、個人主義などのネガティブなイメージを抱いている。と、同時に自律的、誠実、平等といったポジティブなイメージも抱いている。
そして、リバタリアニズムと呼ばれる自由主義者の主張に触れれば触れるほど、前者の影響が増していく。市場は自由のがいいかもしれない。しかし、少なくとも市場の議論を市民生活や、国家論など全てに置換えることはできない。著者もこのように本文で述べている。
”現代の最も驚くべき傾向に数えられるのが、市場の拡大と、以前は市場以外の基準にしたがっていた生活領域における市場指向の論法の拡大だ。”
ちょうど、この本を読んでいた時期に、参議院選挙があった。ほぼ多くの政党は、経済問題に関しての論調で一色だった。確かに、有権者の多くの感心は生活であって、経済問題だ。
みんなの党は小さな政府を売りに、多くの票を集めた。しかし、国防や外交、国のあり方を決める国家論を選挙で語る政治家は今や少ない。全ての価値基準が経済と等価交換できるかのように語られる。
リバタリアニズムの人間には、国家やリスクとリターンで語ることのできない価値について、自己矛盾なく議論することは、残念ながらできないのだろう。当たり前かもしれないが、この事実を今はただしっかり噛み砕いておきたい。僕は、そこに”自由”の言葉に関する懐疑を感じていた。そんなことはない、と多くの人は述べるかもしれないが、”自由”は万能ではないことは確かだ。
ただ、”自由”という言葉はそこまで悪いものでもない。”自由”をもう一度考えなおしてみよう。そして、生活者として、実践していくしかない。まずは、ハイエクあたりから勉強して、経済学者のいう、”自由”を少し理解したいと思う。
最後に、”自由”について考えていたら、”1984年”を思い出した。
”1984年”を描いた、著者ジョージ・オーウェルは、ビックブラザー率いる党の三大スローガンのひとつをこのように描いた。
・自由は隷従なり
言葉のもつ意味は、その社会情勢でも大きく変化する。
TED Talk : マイケル・サンデル 失われた民主的議論の技術
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