2010年8月13日金曜日
ハイエク・「奴隷への道」入門
自由をいかに守るか ハイエクを読み直す
この本は、すごくよかった。僕の中に大きなアイデアの種を残したことは間違いない本となった。ハイエクを初めて知りたい人。自由主義や社会主義・共産主義が知りたい人。民主主義と自由主義についても。また、ハイエクが「奴隷への道」を書き上げた当時の思想的な時代背景など、かなり色々なことを知る事がでる。特に、僕の同世代(ギリギリ昭和生まれ)か、それより若い人は読んだ方が良いと思う。是非買って読んでください。
まず、「奴隷への道」とはなんなのか。本書では、ハイエクがイギリスのロンドン・スクール・オブ・エコノミクス で経済学者として働いていた時に、彼の専門外であり、社会主義の学校であるロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの同僚を批判するにも関わらず、義務感から執筆した書であると述べられている。その義務感とは、歴史的追体験をイギリスで感じていたことでからくる。その追体験とは当時思想的にトップを走っていたドイツの後を追い、イギリスまでもが、社会主義的な国家へと変化していくと感じたこと。そして、この書は、ハイエク自身も"本書の主な結論に対して、三十二年たった時点でも、訂正する必要はなく、「一般読者にすすめる本を選べ」といわれたら躊躇なくこの本をすすめる"と処女作でありながら、述べているほど、ハイエクを知り考えるにも適した書であるようだ。
この「奴隷への道」の素晴らしいところは、結局現代の問題の多くがすでにこの当時予想されていて、未だに解決されていない問題の本質にも風化することなく、ハイエクの主張を当てはめる事ができることだと思う。そして、この”自由をいかに守るか ハイエクを読み直す”の素晴らしいところは、それがものすごく分かりやすく書いてあることだ。
また、何で僕の同世代以上に若い人に進めたいかというと、僕たちの世代が共産主義・社会主義の怖さを微塵も経験したことがないことにある。学生運動も過去のものとなり、大量虐殺に導いた思想である、程度の知識しかないから、不景気になったり今後さらに経済が弱くなったら、また全体主義的な考えに若い人からどんどん染まってしまうのではないか。特に、教育の分野に今だに赤い旗を掲げている人が多いこの国では、自由主義の反発から日本が全体主義に染まることは簡単かもしれない。いや、もう現在の時点でもそれは進んでいる。現在進行形だ。日本のハイエクを時代が必要としているかもしれない。
この本は、是非手にとって読んでほしい。僕が、このブログにまとめられるほどの内容ではない。以下は僕が気になった文章の羅列です。
"自由主義は、ヒトラーが最も憎んだ教義であるという名誉を持っている"
ヒトラーは、自分が民主主義であると信じ、九十数パーセントの投票によって選ばれたという意識があった。
"自由主義の成功こそが、自由主義そのものの衰退の原因になった"
自由主義の経済発展はすべての人に恩恵をもたらしたが、マイナスの面ばかりをみるようになったというハイエクの主張。自由主義に対する反発が生まれる。
"組織化が徹底した産業界では、消費者は資本家と労働者の共同の独占行為のなすがままになる”
消費者なき世界。現在の談合問題などにも通ずる。この文章は、計画経済が、計画主義者も自由主義者も満足いくものではないということを意味する。
"平等への情熱が自由への希望をむなしいものにしてしまったがために、この世界に与えられた絶好の機会が破棄されてしまった"
平等を求めていくと自由がなくなてしまうという意味のアクトン卿の言葉。
"経済学者の中には、政府の大規模な公共事業が巧みなタイミングで実施されることで解決できるのだと信じている人もいるが、これは自由競争の領域に深刻な制限をもたらすかもしれない"
ハイエクはケインズの友人であり、後にハイエクはケインズを批判している。
"「自由」という言葉のねじまげ"
オーウェルの"1984年”にも描かれたように、 「自由」に対し「新しい自由」を与える。これは確かに理想的なので、人は誘惑に負けてしまう可能性がある。
"地獄への道は善意で舗装されている"
意味は言わずもがな。世界に対して100年間に及ぶ大マインド・コントロールをかけたのがマルクスであり、そのマインド・コントロールを解くのに最も貢献したのが、ハイエクの「奴隷への道」である。
"しかし日本ではいまだに統制経済的なものに対する憧れのようなものが残存している。ハイエクが「奴隷への道」の最終版につけた文章は、特に今日、われわれが耳を傾けて聞くべきだと思う。"
その通りかもしれない。
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