2010年12月29日水曜日

Cloud RoboticsとGoogle Car

今年最も個人的にホットなニュースといえば、Google Carの表舞台への登場である。
勘違いしないで欲しくないのは、ストリートビューに使われている車ではない。(関係なくはないが。)
Googleが自律移動の車を開発したというニュースである。



詳しくは、影木准子氏の記事を参照して頂くのがよい。
米グーグルが自律ロボット車を開発した理由(ウォール・ストリート・ジャーナル)
Autonomous Car Masterminds Converge at Google(Getrobo Blog)

記事にも出てくる、セバスチャンスランは、ロボットの研究者として現在第一人者であり、確率ロボティクスの著者、Grand ChallengeでのStanfordの優勝チームのプロジェクトのトップとして有名である。Stanfordでサバティカルでgoogleにいるらしいという噂は耳にしていたが、本格的にそこで自律移動車を開発しているとは考えていなかった。





以前に、このブログでも触れたが、Grand ChallengeはCMUとStanfordの戦略の違いが、ドラマチックな結果をもたらし、研究者でなくても興奮する内容であることは間違いない。
研究者からみれば、より複雑な環境であれば、CMUが勝っていただろうと考えるし、CMUの研究者達もそう答えるだろう。



特に印象的なのが、本番前の両者のチームの行動の違いだ。CMUは、事前に配布されるウェイポイントのデータから、速度やロボットに適した経路を人海戦術で、事前に与えるのに対し、Stanfordは、その状況を走りながら搭載したセンサの情報から速度を決めるので、人海戦術を必要としなかった。実際どの程度の事前情報の与え方に、違いがあったかは分からないが、終始少人数でスマートに研究開発を行ってきたStanfordは、このGrand Challengeの勝者となった。

少し話がそれたが、ロボットはその場で得られる情報と、事前に与えられる情報から最適な行動を選択を行う。しかし、一般的にはロボットはどの程度事前に色々な場所の情報を得ることができるのだろうか?乱暴かもしれないが、そのひとつの答えが、Cloud Roboticsなのかもしれない。クラウドに保持し得られる情報は人間だけでなく、ロボットや車も利用すれば良いのである。そして、クラウド化といったらGoogleである。多くの情報を処理することは、Googleの得意技であり、得られる情報を処理し、その環境に適応して行動するのがロボットのひとつの形である。

ロボットにとって必要な情報は目的によっても様々な議論があろうが、ストリートビューの車にレーザーも搭載して走らせている、Googleはこの分野では、圧倒的に有利な立場にあるだろう。実際に、上記の記事中にも、”いずれの経路も、まずは人間が先に車を運転しながら車線表示や信号機の場所、道路状況といった膨大な情報を取得する。それを持ち帰ってグーグルのデータ・センターで処理し、この中から必要な情報だけを抽出してロボット車のコンピューターに載せ、自律で走らせるという仕組みだ。とある。Googleのお家芸がまさに、自動車の自律移動に生きているのである。

長年、自動車は日本の主要産業であったが、次の大きなイノベーションはGoogleから現れるかもしれない。もちろん、日本車メーカーもこの機会を見逃してはいない。セバスチャンのいるStanfordでは、自律自動車の研究が日本自動車メーカーを含む多くの会社から出資され、研究が行われている。もちろん、海外メーカーも参入している。最近では、アウディが山岳コースを自律移動したニュースが有名である。また、趣旨が異なるかもしれないが、"Car as a wireless device"と述べた、フォードも印象的である。どちらかというと日本は遅れている印象だ。それは、ただ単にオープンにしていないだけなのか。トヨタの裾野にある東富士研究所では、Google Carの頭上にも搭載されているvelodyneのlidarが装備された自動車が実験を行っているという噂も耳にする。このへんの議論については、小川浩氏の記事が参考になる。

はてさて、ここまでくるとビジネスモデルはどのようにするのだろうか、というのが疑問である。自律移動車は、アメリカらしく、軍事研究から始まり、民生化しようとしている技術のひとつである。インターネットがそうであったように、需要をさがすのではなく、新たな需要を人々に提供する、そんな想像もつかない世界が待っているかもしれない。もちろん、そういう意味で、Googleとセバスチャンスランには今後も目が離せない。

2010年12月7日火曜日

技術が残酷な世界を変えるか




残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 橘玲

橘玲氏は,不道徳教育読んで以来手に取る。考え方は嫌いではないし,少し影響を受けている自分がいる。文章と考え方から,勝手にもっと若い人を想像していたが,1959年生まれという事実がまず,個人的にはかなり衝撃的だった。(失礼)

もし,自己啓発本好きな人間がいたら,この本を紹介するのがいいだろう。端的に結論を,誤解を恐れずに書いてしまえば,好きなことを伸ばして,そこからお金や幸せを得るようにベクトルを向け,最終的にはビジネスモデルを構築できるようになる人生を進めている本だ。

”好きなことを仕事に”みたいなことは,よく言われることだ。
あの,スティーブ・ジョブズだって,スタンフォードで行われた有名演説で,"I loved what I did. You've got to find what you love."と述べている。


ただし,この本が少し変わっているのは,努力で自分を変えようとすることが,遺伝的に正しくないという観点から説明を始めることだろう。また,その流れで,子供が成長するのに親の愛情は必要ないと述べるのも,実に小気味良い。自分は,そう簡単に変えることはできないという結論は,非常に納得がいく。では,他人を変えるのはどうか?人の心に影響を残す方法や,人類の進化で染み付いた無意識を逆手に利用することはできるが,それは多くの場合,不幸な社会を招く。

そして,貨幣の誕生が人類史からみて浅いことからも,僕達は金銭だけで,すべての幸せを得られないという当たり前の事実を知っている。また,自分が幸せだと思える環境は,自分の能力や性格に大きく依存することも。幸いなことに,僕が生まれた現代は,過去の時代よりも,好きなことから,より幸せを得やすい環境が,市場と技術のお陰で得ることができる。たしかに,好きから始まった世界は,多くの人間を統率しようとした時代の世界よりも,多くのものを生み出したのかもしれない。

まず,僕はこの時代に感謝し,自分も同じように "I loved what I did." といえるかを考えてみようと思う。

ただ,個人的には,大企業=伽藍と決めつけ,ネガティブ評価をもらわないようにする消極的な集団と決めるのは,悲しいかなと思ってしまう。

2010年11月19日金曜日

モレスキン「伝説のノート」活用術




情報を脳に溜め込まず,外部に記憶するという行為は,タスクを効率的にストレスフリーに行う上で重要なことと言われている.しかも,現在ではEvernoteという非常に便利なサービスまで普及しているため,iPhoneやiPadにより,誰もが,それらのサービスやライフハック術の恩恵を受けることができるようになった,

僕も,人並みにデジタル機器を使って,そういった事をするようになったが,問題があった.それは,PCやiPhoneの様なデジタル機器では表現できないアイデアやメモがあったり,そもそもデジタル機器でメモすることに,遠慮してしまう状況,シチュエーションが存在することだ.そういった,デジタル機器の隙間を埋めてくれるためにも,簡単なメモ帳,もしくは手帳などのようなものが必要だと最近思ってきた.そこで,手にとったのが,この本だ.モレスキンの存在は,うっすらと知っていたが,ググってみても,納得のいくモレスキンが人気な理由がなく,何が良いのかを知りたかったのだ.本を読むくらいなら,買って使ってみれば良いと思うかもしれない.ただ僕自身は,どういう形であれ,納得してそれが良いものだと思わないと,大事に使えないタイプなので,この本で説得されようと思って読んだといえなくもない.

本を読んだ段階で,モレスキンの利点は,やはりそのデザインにあるのだと思った.デザインといっても,単純に見た目の話ではなく,使い勝手を含んだデザインである.この使い勝手というのは,見過ごしてしまうことが多いが,モノを愛し日常的に使っていく上では,非常に重要なファクターである.

また,個人的にはシステム手帳が嫌いなので,手帳を使わなければいけないと感じた昔の時期も,ただの白紙の紙を小型のバインダーにはさみ,フリーフォーマットで書きまくっていた.その経験から,モレスキンの考え方は非常に理解ができる.後で書きためたメモを見ると,だいぶ助けられたことを,今でも憶えている.

何はともあれ,この本を読めば,モレスキンを買う自分に納得できそうです.
さぁ,モレスキンを買ってみるかな.



個人的メモ.
モレスキンでなければいけない利点の詳細は本書に譲るが,大きく4つの利点をあげている.1,堅牢さ.2,ボリューム.3,規格化.4,DIY(自由さ).

また,デジタル機器の隙間を埋める使い方をしている人が多いため,自分の需要にもあった考え方が多かった.

最初に使う上で心がけること
1,メモには日付を入れる
2,立ったままでもメモをとる
3,ページ数を入れる.ちょっと面倒だな・・・
4,拡張ポケットを使う

iPhoneのDocScannerですぐに,Evernoteに同期するという技は多様しそう.

2010年8月29日日曜日

Texでプレゼンテーション beamer編



自分の学会発表で、今回はTexを用いてプレゼンを行うことにした。
Texを用いた大きな理由は、KeyNoteにあきたという、非合理的な理由からである。

今回は、Beamerと呼ばれる、LaTexのプレゼンテーションソフトウェアを用いた。
Beamerを選んだ理由は、これまた深い理由はなく、海外の関連研究者がたまたま使っていた、用意されているスタイルが(見た目が)気に入った。という理由が主である。
特徴としては、frame定義ができ、PDFを用いて色んな効果が期待できるようだが、個人的にはそこまで、それらの機能をまだ重宝できていない。

Beamerについて

Beamer(LaTex)を用いて、プレゼン資料を作成するメリットを挙げておく。

1、論文をTexで書いている人には、そのままプレゼン資料を作成することができる。
この1番の利点は大きいと思う。慣れれば、KeyNoteなどのGUIが非常に優れたアプリケーションより早く作成することができるだろう。

2、PDFなので、OSを選ばない。
発表会場でのトラブルを減らすことができる。ただし、最近はもともと自分のPCで発表する機会が多いので、トラブルで大変な目にあっている人をみかける機会のが少ないと思う。また、Linuxで作成できるので、Mac、WindowsよりもLinuxだ!という人にはうってつけだと思う。

3、Texが美しい配置を考えてくれる。
個人的に恩恵をうけたのはこれだ。配置を最適化してくれるため、美しい見た目を維持できる。ゴチャゴチャした配置には作りづらくなる。もともと、そういったセンスがある人には関係ない話でもあるが。

と、利点はあげたものの、KeyNoteでも充分だと思う(PowerPointは論外だが)。Beamerの悪い部分としては、最初は箇条書きベースで書いてしまいそうになるところだ。一方、KeyNoteは、スティーブ・ジョブズの、Appleの製品だけあって、箇条書きを遠慮している配慮が感じられる。ただ、Beamerも慣れれば問題ない。特に、1についての利点は大きいかもしれない。
  
Beamerの導入方法

ここでは、 Leopard に導入する方法について。
Latex Beamer Classをここからダウンロード。
基本的に、latex-beamerとpgf、xcolorが必要。
以下のように展開。

tar xvfz latex-beamer-3.06.tar.gz
tar xvfz pgf-1.01.tar.gz
tar xvfz xcolor-2.00.tar.gz

sudo cp -r latex-beamer-3.06 /usr/local/share/texmf/tex/latex/latex-beamer
sudo cp -r pgf-1.01 /usr/local/share/texmf/tex/latex/pgf
sudo cp -r xcolor /usr/local/share/texmf/tex/latex/

sudo mktexlsr
 
コンパイル手順としては、
tex->dvi->ps->pdfという変換手順になる。

platex sample.tex
dvips -Ppdf sample.dvi 
ps2pdf sample.ps
ポイントとしては、dvipsの際に、-Ppdfのオプションを付けること。
これで、自分のTexをコンパイルすることができる。

latex-beamer内にいくつかサンプルがあるので、コンパイルできるか確認してみると良い。
日本語環境を導入するには、別途作業が必要。

動画の導入方法 

¥usepackage{multimedia}
が必要となる。これは、beamerをインストールすれば、基本的に問題なく導入できる。
また、動画をPDFで見るには、Acrobat Reader6.0以上で、Beamer2.20以降でないといけないようだ。かなり問題なのが、Macのプレビューで、PDFを開いても動画を見ることができないところだ。

¥movie[width=5cm, height=4cm, poster]{}{sample.avi}
と入れたい動画を指定すればできる。
movieコマンドの詳細は、ここを参照。

対応している動画ファイルは限られる。mp4などは、再生できない。
動画変換ファイルとして、Macユーザーにフリーで個人的にお勧めなのはこちら。

QT MPEG4 Exporter

QuickTime Playerで開いているムービーをQuickTime、MPEG-4、3GPP、3GPP2、AMC、DV stream、AVIなどの形式で出力できる。 

Snow LeopardでBeamer

Beamer and Latex With Keynote Theme

2010年8月13日金曜日

ハイエク・「奴隷への道」入門



自由をいかに守るか ハイエクを読み直す

この本は、すごくよかった。僕の中に大きなアイデアの種を残したことは間違いない本となった。ハイエクを初めて知りたい人。自由主義や社会主義・共産主義が知りたい人。民主主義と自由主義についても。また、ハイエクが「奴隷への道」を書き上げた当時の思想的な時代背景など、かなり色々なことを知る事がでる。特に、僕の同世代(ギリギリ昭和生まれ)か、それより若い人は読んだ方が良いと思う。是非買って読んでください。

まず、「奴隷への道」とはなんなのか。本書では、ハイエクがイギリスのロンドン・スクール・オブ・エコノミクス で経済学者として働いていた時に、彼の専門外であり、社会主義の学校であるロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの同僚を批判するにも関わらず、義務感から執筆した書であると述べられている。その義務感とは、歴史的追体験をイギリスで感じていたことでからくる。その追体験とは当時思想的にトップを走っていたドイツの後を追い、イギリスまでもが、社会主義的な国家へと変化していくと感じたこと。そして、この書は、ハイエク自身も"本書の主な結論に対して、三十二年たった時点でも、訂正する必要はなく、「一般読者にすすめる本を選べ」といわれたら躊躇なくこの本をすすめる"と処女作でありながら、述べているほど、ハイエクを知り考えるにも適した書であるようだ。

この「奴隷への道」の素晴らしいところは、結局現代の問題の多くがすでにこの当時予想されていて、未だに解決されていない問題の本質にも風化することなく、ハイエクの主張を当てはめる事ができることだと思う。そして、この”自由をいかに守るか ハイエクを読み直す”の素晴らしいところは、それがものすごく分かりやすく書いてあることだ。

また、何で僕の同世代以上に若い人に進めたいかというと、僕たちの世代が共産主義・社会主義の怖さを微塵も経験したことがないことにある。学生運動も過去のものとなり、大量虐殺に導いた思想である、程度の知識しかないから、不景気になったり今後さらに経済が弱くなったら、また全体主義的な考えに若い人からどんどん染まってしまうのではないか。特に、教育の分野に今だに赤い旗を掲げている人が多いこの国では、自由主義の反発から日本が全体主義に染まることは簡単かもしれない。いや、もう現在の時点でもそれは進んでいる。現在進行形だ。日本のハイエクを時代が必要としているかもしれない。

この本は、是非手にとって読んでほしい。僕が、このブログにまとめられるほどの内容ではない。以下は僕が気になった文章の羅列です。

"自由主義は、ヒトラーが最も憎んだ教義であるという名誉を持っている"
ヒトラーは、自分が民主主義であると信じ、九十数パーセントの投票によって選ばれたという意識があった。



"自由主義の成功こそが、自由主義そのものの衰退の原因になった"
自由主義の経済発展はすべての人に恩恵をもたらしたが、マイナスの面ばかりをみるようになったというハイエクの主張。自由主義に対する反発が生まれる

 "組織化が徹底した産業界では、消費者は資本家と労働者の共同の独占行為のなすがままになる”
消費者なき世界。現在の談合問題などにも通ずる。この文章は、計画経済が、計画主義者も自由主義者も満足いくものではないということを意味する。

"平等への情熱が自由への希望をむなしいものにしてしまったがために、この世界に与えられた絶好の機会が破棄されてしまった"
平等を求めていくと自由がなくなてしまうという意味のアクトン卿の言葉。 



"経済学者の中には、政府の大規模な公共事業が巧みなタイミングで実施されることで解決できるのだと信じている人もいるが、これは自由競争の領域に深刻な制限をもたらすかもしれない"
ハイエクはケインズの友人であり、後にハイエクはケインズを批判している。 


"「自由」という言葉のねじまげ"
オーウェルの"1984年”にも描かれたように、 「自由」に対し「新しい自由」を与える。これは確かに理想的なので、人は誘惑に負けてしまう可能性がある。

"地獄への道は善意で舗装されている"
意味は言わずもがな。世界に対して100年間に及ぶ大マインド・コントロールをかけたのがマルクスであり、そのマインド・コントロールを解くのに最も貢献したのが、ハイエクの「奴隷への道」である。

 "しかし日本ではいまだに統制経済的なものに対する憧れのようなものが残存している。ハイエクが「奴隷への道」の最終版につけた文章は、特に今日、われわれが耳を傾けて聞くべきだと思う。"
その通りかもしれない。

2010年8月7日土曜日

リバタリアニズムの英雄達



不道徳教育

これからの「正義」の話をしようを読んだ影響で,「自由」について考えてみようと思い,まず手にとった本だ.「正義」本がリバタリアンに否定的な主張であるのに対し,こちらはリバタリアンを擁護する内容となっている.しかし,読み物としては,あまり面白くなく,今更大きな新しい発見もなかっので,お勧めはあまりしない.今,世の中でよく聞くリバタリアンの主張が,確認することはできる(ただし,大雑把だが).また,翻訳者である橘 玲氏の意訳以上の翻訳が(訳者あとがきでも触れているが) ,個人的には失敗だったのではと憶測する.内容が非常にチープになってしまった感がいなめなかった.

 ただ,この本の価値ある部分は同時に翻訳者の橘玲氏の,まえがきにある.ここで,僕が誰かにはっきり言ってもらいたかった事が書いてあった.

"すべての不幸は国家によって引き起こされている.・・・.国家が国民の福祉を増進するというのは幻想であり,歴史的事実は,強制力をともなう巨大な権力が,一人ひとりの人生にとてつもない厄災をもたらすことを教えている.・・・.人類の理想とは国家の存在しない世界である.・・・.「市場原理主義」こそが,人々に自由と幸福をもたらす唯一の希望でである."
 
まえがきでは,このようなリバタリアンの主張から始まり,リベラリズム,保守主義へとつながる.特に,乱暴ではあるが以下の文章は,印象的だった.

"リベタリアニズムというのは,ようするに次のような政治思想だ.

人は自由に生きるのがすばらしい.

これに対して,リベラリズムは若干の修正を加える.

人は自由に生きるのがすばらしい.しかし,平等も大事である.

「自由主義」に対抗する思想として保守主義が挙げられるが,それとても「自由」の価値を否定するわけではない.彼らは言う.

人は自由に生きるのがすばらしい.しかし,伝統も大事である."

なんと 分かりやすい.


そして最後に,訳者は以下のように結ぶ.

"リバタリアニズムの本質は「自由な個人」という近代の虚構(というかウソ)を徹底する過激さにある.その無謀な試みの先に,国家なき世界という無政府資本主義(アナルコ・キャピタリズム)のユートピアが蜃気楼のように浮かぶとき,人はそれを「希望」と呼ぶのかもしれない."

実は,このまえがきにこの本の全ては収録されている.あとは,様々なリバタリアニズムの英雄達が,風刺的に描かる.はじめにリバタリアンを勉強するために,手にする本としては,間違っていたかもしれないが,これほどリバタリアニズムを直感的に分かりやすく解きほぐしてくれたことには感謝したい.


それと,個人的に心に留めておきたい文章も残しておく.

"特殊な技能をもつ労働者は「投資家」であると同時に「資本家」でもある."

今後エンジニアとして食っていくには,この文章を忘れてはいけないと思った.

2010年8月1日日曜日

OpenCV2.1をMac(Leopard)にインストールしました。

OpenCV2.1をLeopardにインストールしたので、そのまとめです。詳しくは、こちらを参照するのが一番良いですが、僕なりなメモを残しておきます。

まずは、OpenCV2.1をダウンロードしましょう。ダウンロードはこちらから。続いてファイルを展開します。展開するのはどこでも良いですが、個人的には/Developer/Applicationsの下に展開するのが良いと思います。

次に、 cmakeの環境を整えてください。cmakeはここでは、割愛。cmakeのGUIを使ってインストールもできます。

まず、 /Developer/Applicationsの下にmkdir opencv.buildとコマンド。そのフォルダに移動。

Leoperdの場合は、こちらのUse Cmake to buildにもあるように、いくつかオプションをつけてcmakeをしないといけません。なので、コマンドはこういう感じ。

sudo cmake -D CMAKE_OSX_ARCHITECTURES=i386 -D CMAKE_C/CXX_FLAGS=-m32. -D WITH_CARBON=ON -D WITH_QUICKTIME=ON ../OpenCV-2.1.0/ 

最低限これで、インストール可能です。

あとは

make -j8
sudo make install

で終わります。

OpenCV1.0もしくは1.1で開発を行っていて、いきなり2.1をインストールした人は、インストール先が異なることがありますので、注意を。もし、OpenCVのsamples/c/buile_all.shを実行しても、エラーばかりでコンパイルできない場合は、pkg-configの設定がおかしいかもしれません。そんな時は、
export PKG_CONFIG_PATH=/usr/local/lib/pkgconfig:${PKG_CONFIG_PATH} 
で済むと思います。 

2010年7月31日土曜日

ドイツ旅行をまとめてみる ・ 一日目

最近、自分の記録としても書評を載せているが、今回は自分が行った学会のドイツでの旅行をまとめてみる。
結構人の旅行ブログを個人的には参考にすることがあるので。

初日(2010/06/06)

スキポール空港
旅行初日は一日かけて、成田から学会の行われる、ドイツ、ミュンヘンへと向かう。安さを理由にKLMの便を使って、オランダ、スキポール空港(アムステルダム国際空港)を経由し、 ミュンヘン国際空港に到着する予定をたてた。

KLMは、非常に安く個人的にはスカイマイルもたまるので、その部分においては高評価だ。ただ、今回の旅行では往復ともに座席にパーソナルテレビがなかったので、人によっては苦痛を強いられるかもしれない。機内食もそこまで美味しいものではないだろう。

スキポール空港はハブ空港になっているだけあり、 かなり巨大な空港だ。お土産を買ったり、暇な時間をつぶすには十分な印象がある。入国審査はここで行われ、ドイツでは行われない。入国審査も挨拶ひとつで終わる。荷物もわざわざ取る必要がなかったので楽だった。

ミュンヘン国際空港
移動はかなり予定通りで、ミュンヘン国際空港についたのは夜21時頃だった。荷物をとり、今回泊まるホテルへと向かう。時間も時間で、3人の旅行なので、タクシーで向かうことに。タクシーの人間には、全く英語が通じなかったが、(多くのドイツにいる人は英語がしゃべれる。英語が喋れない人に会ったのは今回この時だけ。)ミュンヘン中心部の近くにあるホテルの地図を見せて、分かったと言った(?)ので、任せる事に。アウトバーンで時速制限がなく、夜中だったのもあって不安がましたが、無事ホテルの目の前につけてくれた。

A&O Munchen Hackerbrucke Hotel
 今回拠点として、泊まったホテルはA&O Munchen Hackerbrucke Hotel (A&O ミュンヘン ハッカーブリュッケ ホテル)となる。同じ系列で、似た名前のホテルもあって、それも少し不安な要因のひとつとなっていたが、問題なくつけた。ここに決めた理由も、安さである。僕たちの泊まったホテルは以下のようになている。

3人で泊まった。反対側に普通のベットが2つ





シャワーが少し狭いのがネック

部屋のベランダ(?)から

朝食付き、ミュンヘンの中心部に近いという点から考えても安いとは思う。ただ、夜中はうるさいこともあるが、個人的には疲れて帰ってくるので、全く問題なく熟睡できた。ネットは部屋では使えない。ロビーで時間単位でお金を払う必要がある。安くはなかったので、ネットの利用はお勧めできない。

初日到着の夜は、豪雨だった。この時期ミュンヘンはなかなか雨が降らない。僕たちの旅行でも雨がその一日だけだった。その変わり、突風と共にゲリラ豪雨的な雨に見舞われることがあるようだ。すぐに止むので、多くの人は傘はささない(持っていない)が、強い風が吹いて外で食事している場合には、すぐに店内の食事に切り替えた方が良い。

全体を通してミュンヘンで治安の悪さを感じた事はない。この時期は、日の入りも遅く、日本で夕方くらいに感じる景色も夜の20時とかだったりする。 日の出も早いので、朝から晩まで太陽と共に観光できる。ちょうど、僕たちが現地について、本格的に暖かくなり始めたみたいだが、東京と違って、湿度が低いので、気持ちいいの暑さだった。

幸いなことに晴天の日々が続いた

2010年7月19日月曜日

世界と自分との間に



”これからの「正義」の話をしようーいまを生き延びるための哲学”を読んだ。

万人に激しく、この書を勧めたい。翻訳だが、非常に読みやすい。 Amazonでも人気の高い本なので、知っている人も多いと思う。是非、貴重な本棚のスペースに、この本を置いて欲しい。そのくらい素晴らしい。 自分と世界との間に感じることを、この本が少しずつ紐解いてくれると思う。哲学入門書としても、良いかもしれない。

個人的には、ここ数年漠然と抱えていた疑問にひとつのヒントを与えてくれた本だった。それは、”自由”への疑念だ。

この書は、一見、著者の主張が何か最初は分からないように見える。冒頭では、世界に対して我々が日頃、考え、感じることを思考実験などを通して、理論的に紐解くことを、勧めてくる。それで終わりなのだろうか?否。著者の本書の目的は、本の後半部分にある、この文に述べられている。

”本書の全篇を通じて考察してきたさまざまな事例を通して、私は、この自由の構想には欠陥があることを示そうとしている。だが、ここでは自由が唯一の争点ではない。もうひとつの争点は、正義についてどう考えるかだ。” 

個人的な話になるが、僕は”自由”という言葉に、野蛮、不秩序、個人主義などのネガティブなイメージを抱いている。と、同時に自律的、誠実、平等といったポジティブなイメージも抱いている。

そして、リバタリアニズムと呼ばれる自由主義者の主張に触れれば触れるほど、前者の影響が増していく。市場は自由のがいいかもしれない。しかし、少なくとも市場の議論を市民生活や、国家論など全てに置換えることはできない。著者もこのように本文で述べている。

”現代の最も驚くべき傾向に数えられるのが、市場の拡大と、以前は市場以外の基準にしたがっていた生活領域における市場指向の論法の拡大だ。”

ちょうど、この本を読んでいた時期に、参議院選挙があった。ほぼ多くの政党は、経済問題に関しての論調で一色だった。確かに、有権者の多くの感心は生活であって、経済問題だ。
みんなの党は小さな政府を売りに、多くの票を集めた。しかし、国防や外交、国のあり方を決める国家論を選挙で語る政治家は今や少ない。全ての価値基準が経済と等価交換できるかのように語られる。

リバタリアニズムの人間には、国家やリスクとリターンで語ることのできない価値について、自己矛盾なく議論することは、残念ながらできないのだろう。当たり前かもしれないが、この事実を今はただしっかり噛み砕いておきたい。僕は、そこに”自由”の言葉に関する懐疑を感じていた。そんなことはない、と多くの人は述べるかもしれないが、”自由”は万能ではないことは確かだ。


ただ、”自由”という言葉はそこまで悪いものでもない。”自由”をもう一度考えなおしてみよう。そして、生活者として、実践していくしかない。まずは、ハイエクあたりから勉強して、経済学者のいう、”自由”を少し理解したいと思う。

最後に、”自由”について考えていたら、”1984年”を思い出した。
”1984年”を描いた、著者ジョージ・オーウェルは、ビックブラザー率いる党の三大スローガンのひとつをこのように描いた。

・自由は隷従なり

言葉のもつ意味は、その社会情勢でも大きく変化する。


TED Talk : マイケル・サンデル 失われた民主的議論の技術

 

2010年6月20日日曜日

努力が我が身を滅ぼす時



怠惰な企業が,市場の分析や,技術の向上などを行わずに潰れてしまうのは,よく理解できる.

順調であった会社が,市場の分析を読み誤り,新技術についていくことができなかった場合は,同情を覚えるが,これも理解できる.

優秀と呼ばれた大企業が,正しい市場分析を行い,高い技術力と,既存製品で高い収益と巨大な顧客を持っているからこそ,潰れてしまうという結論は,多くの人が予想だにしない現状ゆえに恐怖する.

本書は,そういった企業や業界にスポットをあてている.

大手企業に限らず,中小企業やベンチャー企業であっても,”イノベーション”や”新規事業”という単語に強い興味を持っている人は,読むべき本である.

また,ケーススタディとして,ディスクドライブ業界,掘削機業界などに焦点をあてている.(日本企業としては,東芝,富士通,コマツ,日立建機などがちらっとでてくる)
他にも,後半では,破壊的技術を新規市場に持ち込んだ例として,ホンダのバイク,トヨタなども登場してくるので,そういった業界に興味がある人は読んでも損しないだろう.
少し,時代が古いのはいなめないが.

さて,では何故そういった,優秀な企業が優秀な故に,衰退していってしまうのだろうか.単純にいってしまえば,小規模市場に対して進出していく強いコンセンサスが得られづらいことである.特に,優秀な企業に集まる優秀な人は,その優秀さ故に,大手企業の要望を満たす,高い収益率の市場を優先してしまう.

反対に, 破壊的技術が新たに創造する市場は,非常に小規模な市場からスタートする.しかも,技術レベルとしては,既存技術よりも悪い場合がある.ただし,新しいバリューがそこにはあるが.

優秀と呼ばれる企業は,自らが行ってきた市場調査から,まだその市場は成熟しておらず,自分たちの収益を満足するレベルには達していないと判断する.しかし,存在しない市場はセオリーどおりに分析できない.また,予想通り拡大したとしても,その時に大きなシェアを握っているのは,新規参入企業であり,それを逆転するのは非常に困難だと歴史は証明している.大企業はそれらの破壊的技術となった製品を生み出す技術力をもっているにも関わらず.

大企業の強みは,継続的イノベーションであり,小規模企業の強みは,破壊的イノベーションだと著者はいう.

ならば,大企業はどう行動するべきかと聞きたくなるのが自然だ.

著者は,こう答える.
”これは,翼を腕にくくりつけ,高い場所から力一杯羽ばたいて飛び降りた古代の人びとが,例外なく失敗したのに似ている.夢を抱き,必死に努力したが,強力な自然の力に逆らっていたのだ.この戦いに勝てるほど強い人間はいなかった.・・・・・(自然の)法則や原理と戦うのではなく,それを認め,その力を調和する飛行するシステムを設計することによって,人間はついに,かつては想像もできなかった高度と距離を飛行できるようになった.”
つまりは,新規市場開拓に発生する現象を理解し,それに戦うのではなく調和するべき道を与える.

新規市場は予測しずらい.なので,本書では,外から見てしまえば新規技術開発と一緒で,まったくもって偶然と言わざるおえない,成功談も紹介されている.

失敗のリスクが非常に高いので,小規模の市場や小さな成功に見合った,小さな集団に任せることが,幾つかの解決策の中のひとつとして提示されている.スピンオフもその一例として述べられている.

もしくは,M&Aなどの企業買収も考えられる. しかし,企業を買う時は,その企業の技術が,自社との技術とみてどうなのか.そもそも企業価値と考えて見合っているか.どういった,統合の方法が望ましいのかというのを考えないといけない.この部分で失敗した事例も多いようだ.ただ単に市場を拡大するためのM&Aは失敗しかうまない可能性もある.

小規模市場に大手企業が参入することを頭に叩き込ませることもひとつの方法のようだ.非常にエネルギーを使うが,成功した事例もあるようだ.

また,自社で新規事業を開拓する時は,その予想は間違っているという前提で,常に臨機応変に現状に対応していかないといけない.わずかな情報で,大規模な投資を行っても,失敗する可能性が高いため,試行錯誤を繰り返した,持続的な投資が必要となる.おそらく,企業の資金力も重要となる.この点においては,大手企業のが有利だろう.

少なからず,私たちは心にとめておく必要がある.破壊的技術で新規市場を開拓する場合や,新たな市場が登場する時は,自分達を成功に導いてきた方法論は,ある一定条件下でうまく機能していたとしても,同じ方法で,それらの市場に太刀打ちしてはいけない.

経済書の結論は常に至極当たり前で,シンプルなのだ.

ようは,見合った方法を常に模索し試行錯誤していくしかない.その時に,してはいけないことを知るにはこの本は良いと思うし.多角的にモノを見るには良い.試行錯誤を行う上で得られた失敗も,企業にとっては充分価値あるものになるだろう.

そう考えると,日本の大手企業の社員は,リスクをとって,挑戦した方が企業にとっても,本人にとっても良いのではないだろうか?社員は責任をとるといっても,対した責任をとるわけでもなかろう.しかし,そのためには,企業全体としては,安定したキャッシュフローが必要となると考えられる.

2010年5月2日日曜日

初めて読んだ調査書

「先進的医療機器の研究開発における医工連携の日米欧比較調査」を読んだ。

たまたま大学で本を借りようと思ったら見つけてしまった。
これは文字通り各国の研究開発の比較である。
一般的に、医療機器にとどまらず市場調査とか、今後の動向を知りたいと思ってGoogle様に訪ねてみても、だいたいウン十万する市場調査報告を買えといわれたり、タダで手に入る情報もすごく微妙で鵜呑みにしていいものかと思ってしまう情報が多い。
ウン十万する調査書も、それだけ価値があるものなのか僕にはまったく分からないが。

その中で、この調査書は それっぽい風体をしていて、タダで借りることができるので読んでしまった。もちろウン十万する調査書と違い、未来工学研究所っていう財団法人が出しているものだから、そもそも質的には違うだろうと分かってはいましたが。

個人的に内容はおもしろかった。
ただ、おそらく調査書としては価値が低い。
僕としては、日本やドイツ、ヨーロッパの研究動向が医療の分野でどのように進むのかというのを一方向からであるが、把握できた点。
医療機器業界の直近の市場規模や、企業の数やシェア、研究開発投資分野の変化などを知ることができた点。(ただ、これに関しては一般的なレベルをがほんの少し詳しくなったくらい)
に関しては、おもしろかった。

しかし、調査書としては、ただアンケートを色んな人にとって、こんな感じでしだ。で終わっているのはどうなんだろう。確かに、個人的にはアンケートはおもしろかったけどね。
調査書としては、フンワリしすぎている。
もっと理論的に分析した結果とかがないと、結局誰にでもできる仕事をしている感じがしてしまう。
それと、この調査書の目的はあくまでも比較なんだけど、医療機器開発の目的と阻害している部分を今回の比較から把握して、最後にそれに関して対応策を提案しているが、あまりにも無難かつ、当たり前に終わるので驚いた。

この2点に関しては、調査書という世間の実態がよく分からないので、こんなものなのかとも思ってしまうが・・・・
それに、偉そうなことをいっているが、医工連携によって重要なファクターが何で、評価すべきものは何かもよくわかっていないんだが。

また、今回改めて思ったことがある。
アメリカの研究者が"我々は他国の研究者よりゆっくり進んできた"と述べている記述があるが、そもそもその研究に着眼したのは一番早く、日本の政府が援助するおよそ20年前からだ。確かに、初期段階は大規模ではないが、裏をかえせば小規模でも援助する人間と仕組みがあるということだ。更に、それが長く続くと一気に研究規模は大きくなるようだ。

日本の政府は腰をあげるのは重いが、援助は行う。しかし、ある程度他国での成功を把握してからである。なので、この調査書でも言及されているが、失敗した時も先人の国が失敗しているのだから、責任は曖昧になる。誰もリスクはとらない。
そもそも、日本の政府が援助する先なんて、よく分からない研究機関が多いんだが。

まぁ、ある意味仕方ないのかもしれないが、小規模の現場からイノベーションが起こる環境づくりがないというのがそもそも大きな問題なんだと思う。現状では、20年後世界を変える基礎的なアイデアや研究は日本からはでない。

ところで、小規模な時期からのイノベーションないままでは、日本はどうなるのかと不安に思う。
日本は昔から長年、根幹をなす技術の基礎的なアイデアは頂いてきて、それを改良し、企業はモノをつくってきた部分があると思う。もちろん、改良のレベルは高いと思うが。
また、少なくとも当たり前のことしかやらずに、突飛なアイデアなどは無視されがちな傾向があるのではと思う。
しかし、今後もそれが主流で良いのだろうか?
もちろん、チラホラと努力している人や場所があるのだろうが、アメリカと比べると、そもそもの枠組みが違いすぎると思う。
調査書であるなら、個人的にはそういう部分にもっとフォーカスして調べてもらいたっかたのだ。

ただ、僕は日本人の底力を信じている。
英語さえできれば w

2010年3月27日土曜日

書評

ゴーマニズム宣言SPECIAL 昭和天皇論 (単行本)

中学生の頃から兄の影響で,小林よしのりを読んでいた.その影響で,今でも時折読んでいる.

そのおかげ(?)なのか,中学高校の歴史の授業は苦痛でしょうがなかった.一方的な歴史解釈をまるですべてのように教え,意にそった回答を行った方が,先生からの評価も高いという経験がいくつかあった.結局,工学やエンジニアの道を選んだのもそういう経験が根にはあるとおもう.

今回は昭和天皇論を読んだ.題の通りだが,昭和天皇について,特に終戦から戦後にかけて描かれている.もちろん本書は一読の価値ありで,クオリティも高いと思う.昭和天皇を知る上では重要な本だ.特に,終戦の判断と,終戦後の世界に対する先見性,戦後の復興への貢献,所々に垣間見える一方的な西洋文化侵略の危機に対する言動や行動には,難しい立場にも関わらず,素朴に関心してしまった.

  ただ,残念ながら僕はまだ若いようだ.作者の主張は充分理解できるし, 昭和天皇が非常に優秀な人であったことも理解できたし,国や国民を思う姿勢もすごい.しかし,僕はまだ心の底から天皇のことを作者のように考えることはできない.

もちろん,日本という国を考える上で,現在の天皇制が重要な役割をもち,天皇なくして日本という国もないのだということは理解できるし,今後も天皇なき日本になってはいけないとも直感的に思う.

これらの本はそう意味で重要だ.なにせ,この作者や作品がなかったら多くの若者は何もしらずに,日本という場所にいるだけになる.誰も知らないというのは,それほど,戦後と戦前は日本という国が違う状況になってしまったということでもあるが.

ただ,同時に考えてしまう.そんな,何も知らない我々が,ますます世界が小さくなり,経済主義的に考えなければいけない場面が多くなる中で,天皇制の価値を充分に理解し,みんなが納得し,維持していけるのだろうか.国という概念が,そもそも今後変わってしまう流れに飲み込まれていくのではないだろうか.僕には残念ながら,これらの流れに対する日本人としてのあり方としての答えみたいなものは未だに分からない.

だからこそ,この本書は今後の僕に重要なものになるのかもしれない.一つ確かなことは,毎度この作者の作品を読む度に思うのだが,僕たちは歴史の大きな流れのある刹那の目撃者であり,同時に将来への重い責任を背負っているということだ.そして,日本が戦後,地政学的に重要なキーを握る国となったように,我々は大きな運命にも身を委ねられている気がする.

生命操作は人を幸せにするのか—蝕まれる人間の未来 (単行本)

センセーショナルな題の割に至って内容は一般的というか,常識的な内容だった.それもそのはずで,調べたらもともとの題は"Life, Liberty and the Defense of Dignity: The Challenge for Bioethics"だそうだ.

著者のレオン・R・カスは医学博士でブッシュ大統領から大統領生命倫理委員会の委員長に任命された人物である.

内容は,臓器売買や遺伝子操作,クローン技術,死ぬ権利などについての倫理学的な問題について述べている.

個人的に印象的だったというか,改めて思い知らされたのが,科学に関する一説である.
もともと,著者が行っているような,科学者によって倫理的検証を行ったり哲学的問題を解決していこうという試みは実はまだ新しいようで,一般的に科学者などは,それが世の中にとって良いか悪いかということは,基本的に検証はしない.それは,確かにそのとおりで,アインシュタインとかが,非常にいい例だが,彼は核爆弾を製造可能とした張本人であることは,誰もが知っている事実だ.工学者や科学者は,基本的に新たな事実を見つけ出したり,不可能だと思われている問題を科学的に解決しようとするだけで,倫理的な検証は基本的に行わないし,あっても,そういう機能をあまり重要視されていない.

生命科学分野も倫理的問題が重要視されるが,ロボット工学などにおいては,海外では軍事利用が主流だ.エンジニアは何が可能なのかというのを考える前に,どういう世界が理想なのということをもう少し考えるべきなのかもしれない.