2016年9月24日土曜日

海堂尊さんの本を読んでAi(Autopsy imaging)について知ったこと



海堂尊とは

海堂さんといえば、ミステリー作家としての一面が有名でしょう。
代表作はなんといっても、映画化もされたチーム・バチスタの栄光などのミステリー小説です。

しかし、本職は別にあり医学博士で病理医として働かれていました。本名は江澤英史さんというそうです。

もともとミステリー小説を書いたのも、彼が提唱したAiを普及する活動の中で書き始めたものです。
小説の方はまだ読んだことがありませんが、Aiを織りませだ作品になっているとのこと。

小説を書いた経緯を本書で、海堂さんはこう述べています。
"よく誤解されるが、実はこの小説はAi普及のために書いたのではない。面白くかっこいい物語を書きたかっただけだ。だが、Aiの活動をしなければ材料を消化できず、物語の推進力を得られなかったのも事実だ。つまりAiと不即不離の物語だ。"

才能ある人は羨ましいものです。二兎を追って二兎を得ている気がしますね。

確かに実際に本書を読むと、Aiの活動が物語の推進力を得たというのは納得できるものがあります。
なぜなら、Aiを普及しようとする活動は、Aiの意義を信じる海堂さんと、その周りの立場の違う人々の政治的な駆け引きがあるので、それ自体が一種の小説であり、その中で物語的な世界を想像してしまうのも理解ができます。ただ、それを多忙の中で形にでき、多くの人から支持を得る作品にしあげることは、凡人には困難な作業だと思います。

さて、そんな海堂さんが提案したAiとは一体何なんでしょうか?

Ai (Autopusy imaging)とは
※Ai 人口知能のAIとの誤解を避けるために小文字のiを利用しているとのことです。

一言でいってしまえば、死亡時にCTやMRIで画像診断し、きちんと死因を解明しましょう。といえるのかと思います。また、重要なのは、解剖だけでは社会構造上対応できないし、情報的な質も異なる画像診断も用いることで、有益な情報を多くの人が共有できるようになる。という点です。

Aiの有用性をきちんと理解するためには、死因を理解することの重要性と、そのうえでAiを利用するメリットを理解する必要があると思います。

死因を理解することの重要性
海堂さんの本を読むまでは、死んだ人にお金や時間をかけることの意味をあまり理解していませんでした。「死因不明社会(ブルーバックス)」で、以下のように死因の不明に関する問題提起をしています。

(以下引用 一部書き換え)
①身内の死因が確定されずに済まされる。このため医療過誤発見が困難になったり、保険金請求で問題が生じる・・・本当の死因が不明なら、問題があったかどうかをどう判断するのだろうか。
②診療行為の効果判定が正確にされない。死亡時の医学検索が行われなければ、再発か、治療で完治したが別疾患の併発で死亡したのかはわからない。現状で解剖が行われなかった場合、治療効果判定は行われないことになり効果的な治療法の確立はできない。
③・・・異常死体の多くは、体表から調べる検案(あるいは検死)だけで死因を確定される。体表から見ただけでは死因は確定できないことは素人にもわかる。かくて殺人や虐待は看過され、犯罪が繰り返される。
④死亡統計が不正確になる。統計は医学の基礎だ。治療法が功を奏した例は○○例中✕✕例、したがって奏効率△△パーセント、というようなデータを基礎にし、治療の有効性が決定される。死亡時医学検索が行われなければ土台が崩れるから、当然医学が壊れていく。
(引用終わり)

③に関しては、そもそも警察がきちんと異常死として拾い上げられないというリスクも、多くの事例から述べられています。異常死が拾い上げられない場合は、その犯罪がそもそも見過ごされるということになります。また、体表だけからの情報からの死因特定が誤る可能性が高いことも想像できることです。

また、②と④がないがしろにされるのは素人目線ながら不安を覚えます。医療の成果の一つを判断するのに、治療効果の判定は重要なのではないでしょうか?結果的に何が死因だったのかはよく分からない。というのは、自分達の仕事の成果がよく分からない。ということに繋がらないでしょうか?つまりは、それは本当に効果的な医療ができていると言えるのか。という不安を覚えます。

もちろん①に関しては、親族としてはきちんと死因を知りたいという思いは強いでしょう。また、医療過誤が疑われる場合、病院側も死因がクリアになることで責任の所在がはっきりするので、社会全体としてはプラスになります。

こういった問題を解決するには、まずはしっかりと死因を解明する必要があると述べています。

・現状はどうなのか?

死因を解明する必要性はわかりました。では、現状の死因の診断はどうされているのでしょうか?

日本では監察医制度がありますが、解剖を実施し死因を診断されるのは2%程度。それ以外は、ある意味外見のみから死因が診断されます。更に、臨床診断と病理診断が異なることは10~30%程度起こり得ているという研究結果も出ているとのことです。

こう考えると、ほとんどの死因はよく分からないか、間違っていることがあるのが世の中の常識になっていると想像できます。

また、日本の監察医制度は地域による格差が大きく、東京などの大都市では機能するが、それ以外はほとんど機能していない、もしくは存在しないという現実があります。つまりは、地域によって得られる医療の質が異なってしまうという問題もある訳です。

・では何故Aiが良いのか

死因を推定する方法はAiだけではありませんが、Aiが優れている点はなんでしょうか?
本書からAiの有効性について、抜粋してみました。

解剖の欠点を補いやすい利点が多数あるようです。例えば、
・広範囲の組織検索が行いやすい。
・腹水などの液体の存在状況が観察できる。
・解剖の質は均一性が困難だが、Aiでは実施しやすい。
・傷をつけないので、患者の遺族から理解が得やすい。
・医学情報を迅速に遺族に伝えやすい(解剖は診断結果が出るまでに時間がかかる)
・コストが解剖に比べて安い
・遠隔診断も可能なので、中立的な診断が行われやすい
・画像は保存しデーテベース化しやすい

また、日本の場合は、CT/MRI先進国のためインフラが比較的整いやすいという利点もあります。解剖の方が死因の特定率は75%と高いですが、AiもMRIなどを用いれば60%近くの死因の特定が可能なようです。

何よりも強調したいのが、解剖で死因特定を増やそうとすると、人的にもコスト的にも足りないので現実的に困難であるが、放射線技師や放射線科医の人数を考えるとAiを導入するのはまだ現実的な解であるだろう。という点です。

そう考えると、良いことづくしのAiに聞こえますが、何か問題があるのでしょうか?

・具体的な問題は何か

何事もそうですが、やはりヒト・モノ・カネを誰がコントロールし、設計するのか。ということになるのでしょう。
得にAiの場合は、カネを誰がどれだけ払うのか。誰が診察/撮影をするのか。という点が問題になります。
撮影をするのは放射線技師がいますが新たな業務の発生になります。診察は放射線科医か法医学の人間が行うのか。診療報酬が死者には出ないので、誰がお金を払うべきか?病理医の解剖との連携はどうするのか?といった課題が発生する様です。

医療の場合は公共性の高い仕事になるので、カネの設計をするのは厚生労働省になるでしょう。報酬がどう定義されるかで、医療現場の人々のインセンティブは大きく変わります。民間病院になればその傾向は顕著です。また、制度設計がしっかりしないと、現場では歪が生じてしまうのは素人からみても明らかです。

・国が決める部分が多い
・各学会で考え方が異なる
・医者の世界には白い巨塔的な側面がある
こういった状況を勝手に想像すると、政治的なアレコレが発生するのは想像しやすいところです。実際に著者の海堂さんもこういった渦中に飲み込まれ闘っていくわけです。それは、本書"ゴーゴーAi"を読んで頂ければよく分かることです。

海堂さんの主張するAiは以下のAiプリンシプルを読めば明らかです。
①Aiは医療現場の終点で医療従事者が行う
②Aiを行ったら診断レポートを作成し、その情報を遺族と社会にオープンにする
③Aiの費用は医療費外から医療現場に支払われる
プリンシプルとしてはよく理解できます。

個人的には以下の点が疑問としてあがってきます。
確かに、Aiは解剖より安くすむが、多くの人がスクリーニングのように実施するだけの費用を出すのは現実的には難しいのではないでしょうか?
また、そこまでの費用対効果があるかは現状として解明されているのでしょうか?
まずは優先度が高い人から実施するのが理解しやすいが、1個人としては、少なくとも患者が希望すれば実施できるようにあって欲しいと思います。しかし、そういった体制はどこまで作られているのでしょうか?

・最後に

なにはともあれ、2007年に「死因不明社会(ブルーバックス)」にて、以下のようにAiの制度導入の困難を述べていた海堂さんが、2011年の「死因不明社会2(ブルーバックス)」では、Aiの制度化への予言をもとにあとがきを終えているのは、感慨深いです。
こうやって社会制度が大きく変わり医療現場が変わっていくことに感動を覚えますが、同時に、新しいことを実施することが如何にハードルが高いかも伝わってくる面があります。

「死因不明社会(ブルーバックス)」プロローグより引用
”私は、Aiが制度として確立して欲しい、と祈るような気持ちで本書を上梓した。だが、そう言いながらも、このシステムが日本に根付かなければ、それはそれで仕方がない、という諦めの気持ちも半分混じっていることは、正直に告白しておきたいと思う。”

「死因不明社会2(ブルーバックス)」あとがきより引用
”2007年に前著『死因不明社会』を執筆して4年。社会のAiに対する理解が進んだことは、本書執筆陣を見れば一目瞭然だ。Aiは他分野の人々に広がり、その支持は確実に浸透している。本書が一般市民のAi理解に貢献し、日本社会に早晩、Aiを基本にした新しい死因究明制度が出現することを予言しつつ、擱筆したい。”

これをきっかに、チーム・バチスタの栄光を読んでみようと思います。