2010年7月31日土曜日

ドイツ旅行をまとめてみる ・ 一日目

最近、自分の記録としても書評を載せているが、今回は自分が行った学会のドイツでの旅行をまとめてみる。
結構人の旅行ブログを個人的には参考にすることがあるので。

初日(2010/06/06)

スキポール空港
旅行初日は一日かけて、成田から学会の行われる、ドイツ、ミュンヘンへと向かう。安さを理由にKLMの便を使って、オランダ、スキポール空港(アムステルダム国際空港)を経由し、 ミュンヘン国際空港に到着する予定をたてた。

KLMは、非常に安く個人的にはスカイマイルもたまるので、その部分においては高評価だ。ただ、今回の旅行では往復ともに座席にパーソナルテレビがなかったので、人によっては苦痛を強いられるかもしれない。機内食もそこまで美味しいものではないだろう。

スキポール空港はハブ空港になっているだけあり、 かなり巨大な空港だ。お土産を買ったり、暇な時間をつぶすには十分な印象がある。入国審査はここで行われ、ドイツでは行われない。入国審査も挨拶ひとつで終わる。荷物もわざわざ取る必要がなかったので楽だった。

ミュンヘン国際空港
移動はかなり予定通りで、ミュンヘン国際空港についたのは夜21時頃だった。荷物をとり、今回泊まるホテルへと向かう。時間も時間で、3人の旅行なので、タクシーで向かうことに。タクシーの人間には、全く英語が通じなかったが、(多くのドイツにいる人は英語がしゃべれる。英語が喋れない人に会ったのは今回この時だけ。)ミュンヘン中心部の近くにあるホテルの地図を見せて、分かったと言った(?)ので、任せる事に。アウトバーンで時速制限がなく、夜中だったのもあって不安がましたが、無事ホテルの目の前につけてくれた。

A&O Munchen Hackerbrucke Hotel
 今回拠点として、泊まったホテルはA&O Munchen Hackerbrucke Hotel (A&O ミュンヘン ハッカーブリュッケ ホテル)となる。同じ系列で、似た名前のホテルもあって、それも少し不安な要因のひとつとなっていたが、問題なくつけた。ここに決めた理由も、安さである。僕たちの泊まったホテルは以下のようになている。

3人で泊まった。反対側に普通のベットが2つ





シャワーが少し狭いのがネック

部屋のベランダ(?)から

朝食付き、ミュンヘンの中心部に近いという点から考えても安いとは思う。ただ、夜中はうるさいこともあるが、個人的には疲れて帰ってくるので、全く問題なく熟睡できた。ネットは部屋では使えない。ロビーで時間単位でお金を払う必要がある。安くはなかったので、ネットの利用はお勧めできない。

初日到着の夜は、豪雨だった。この時期ミュンヘンはなかなか雨が降らない。僕たちの旅行でも雨がその一日だけだった。その変わり、突風と共にゲリラ豪雨的な雨に見舞われることがあるようだ。すぐに止むので、多くの人は傘はささない(持っていない)が、強い風が吹いて外で食事している場合には、すぐに店内の食事に切り替えた方が良い。

全体を通してミュンヘンで治安の悪さを感じた事はない。この時期は、日の入りも遅く、日本で夕方くらいに感じる景色も夜の20時とかだったりする。 日の出も早いので、朝から晩まで太陽と共に観光できる。ちょうど、僕たちが現地について、本格的に暖かくなり始めたみたいだが、東京と違って、湿度が低いので、気持ちいいの暑さだった。

幸いなことに晴天の日々が続いた

2010年7月19日月曜日

世界と自分との間に



”これからの「正義」の話をしようーいまを生き延びるための哲学”を読んだ。

万人に激しく、この書を勧めたい。翻訳だが、非常に読みやすい。 Amazonでも人気の高い本なので、知っている人も多いと思う。是非、貴重な本棚のスペースに、この本を置いて欲しい。そのくらい素晴らしい。 自分と世界との間に感じることを、この本が少しずつ紐解いてくれると思う。哲学入門書としても、良いかもしれない。

個人的には、ここ数年漠然と抱えていた疑問にひとつのヒントを与えてくれた本だった。それは、”自由”への疑念だ。

この書は、一見、著者の主張が何か最初は分からないように見える。冒頭では、世界に対して我々が日頃、考え、感じることを思考実験などを通して、理論的に紐解くことを、勧めてくる。それで終わりなのだろうか?否。著者の本書の目的は、本の後半部分にある、この文に述べられている。

”本書の全篇を通じて考察してきたさまざまな事例を通して、私は、この自由の構想には欠陥があることを示そうとしている。だが、ここでは自由が唯一の争点ではない。もうひとつの争点は、正義についてどう考えるかだ。” 

個人的な話になるが、僕は”自由”という言葉に、野蛮、不秩序、個人主義などのネガティブなイメージを抱いている。と、同時に自律的、誠実、平等といったポジティブなイメージも抱いている。

そして、リバタリアニズムと呼ばれる自由主義者の主張に触れれば触れるほど、前者の影響が増していく。市場は自由のがいいかもしれない。しかし、少なくとも市場の議論を市民生活や、国家論など全てに置換えることはできない。著者もこのように本文で述べている。

”現代の最も驚くべき傾向に数えられるのが、市場の拡大と、以前は市場以外の基準にしたがっていた生活領域における市場指向の論法の拡大だ。”

ちょうど、この本を読んでいた時期に、参議院選挙があった。ほぼ多くの政党は、経済問題に関しての論調で一色だった。確かに、有権者の多くの感心は生活であって、経済問題だ。
みんなの党は小さな政府を売りに、多くの票を集めた。しかし、国防や外交、国のあり方を決める国家論を選挙で語る政治家は今や少ない。全ての価値基準が経済と等価交換できるかのように語られる。

リバタリアニズムの人間には、国家やリスクとリターンで語ることのできない価値について、自己矛盾なく議論することは、残念ながらできないのだろう。当たり前かもしれないが、この事実を今はただしっかり噛み砕いておきたい。僕は、そこに”自由”の言葉に関する懐疑を感じていた。そんなことはない、と多くの人は述べるかもしれないが、”自由”は万能ではないことは確かだ。


ただ、”自由”という言葉はそこまで悪いものでもない。”自由”をもう一度考えなおしてみよう。そして、生活者として、実践していくしかない。まずは、ハイエクあたりから勉強して、経済学者のいう、”自由”を少し理解したいと思う。

最後に、”自由”について考えていたら、”1984年”を思い出した。
”1984年”を描いた、著者ジョージ・オーウェルは、ビックブラザー率いる党の三大スローガンのひとつをこのように描いた。

・自由は隷従なり

言葉のもつ意味は、その社会情勢でも大きく変化する。


TED Talk : マイケル・サンデル 失われた民主的議論の技術